カフェの賑やかな喧騒の中、不意に耳に飛び込んできたメロディに、私の世界は一瞬で色を失った。あの曲だ。彼と初めて行ったライブで、二人で声を枯らして歌った、思い出の曲。「あぁ、まただ…」。心臓がぎゅっと締め付けられるような痛みが全身を駆け巡り、手に持っていたコーヒーカップが冷たく感じる。別れて半年。友達は「時間が解決するよ」と慰めてくれるけれど、その『時間』が一体いつ来るのか、私には全く見えない。むしろ、街中で不意打ちのように流れるあの曲のせいで、過去に引き戻されるばかりだ。隣で笑っていた彼の顔、初めて手をつないだ帰り道、甘い記憶が鮮明にフラッシュバックする。もう彼のいない未来なんて考えられなかったのに、今はもういない。喜びの象徴だったはずの曲が、今では一番聴きたくない、聴けば聴くほど心が枯れていく呪いの歌のように感じられた。「もうダメかもしれない…」。私は、この痛みにいつまで耐えればいいのだろう。スマホのプレイリストから彼の好きだった曲を全て削除したけれど、街中に溢れる音楽は、私の心の傷を容赦なくえぐり続ける。「なぜ私だけが、こんなにも引きずっているんだろう。」
なぜ、あの曲は心を深くえぐるのか？
私たちは、なぜ特定の曲にこれほどまでに感情を揺さぶられるのでしょうか。それは、音楽が単なる音の羅列ではなく、過去の記憶や感情と強固に結びつく「プルースト効果」のような現象を引き起こすからです。脳の奥底にある扁桃体や海馬といった感情と記憶を司る部位に、音楽は直接語りかけます。だからこそ、理屈では忘れようとしても、体と心が勝手に反応してしまう。この現象は、あたかも心の庭に深く根を張った雑草のようです。表面だけを刈り取っても、根が残っていればすぐにまた生えてきて、庭の景観を損ねます。思い出の曲を避ける行為は、まさにこの「表面を刈る」ことに過ぎません。一時的に見えなくなっても、根っこである感情の整理ができていなければ、いつかまた別の場所で、あるいは同じ場所で、再び苦しみが顔を出すのです。
痛みは「終わり」ではなく「始まり」のサイン
では、どうすればこの「呪縛」から解放され、あの曲を平気で聴けるようになるのでしょうか。鍵は、その曲が呼び起こす感情と記憶に、真正面から向き合うことにあります。それは決して楽な道ではありません。再び痛みに触れることになるでしょう。しかし、その痛みに蓋をして逃げ続ける限り、あなたは過去の影に囚われ続けます。大切なのは、その曲が「終わりの合図」ではなく、「新しい始まりの序曲」であると捉え直す勇気を持つことです。
心の傷は、まるで古民家の梁（はり）にできたひび割れのようなもの。最初は痛々しい欠陥に見えても、修復され、長い時間を経るごとに味わい深い「歴史の証」となるのです。あの曲が教えてくれるのは、あなたが確かに愛し、愛された時間があったということ。そして、その経験が今のあなたを形作っているということ。過去を「失われたもの」として嘆くのではなく、「得られたもの」として感謝と共に受け入れる時、その曲はあなたにとって、もはや胸を締め付ける痛みではなく、未来へ進むための優しい道標へと変わるでしょう。自分を責める必要はありません。一歩ずつ、あなたのペースで、思い出の曲に新しい意味を吹き込んでいきませんか。その曲は、もう過去のあなたを縛りつける鎖ではなく、未来へと飛び立つための翼になるはずです。
