MENU

何もしたくない日、罪悪感なく「最高の充電」をする過ごし方

「また、この感覚だ…」

日曜の朝、アラームが鳴る前に目が覚めた。にもかかわらず、体は鉛のように重く、心は乾ききっている。カーテンの隙間から差し込む光が、なぜか今日の自分を責めているように感じた。週末だというのに、頭の中には「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」というタスクリストが延々と再生されている。掃除、洗濯、たまったメールの返信、そして来週の仕事の準備…。

一年前の私は、こんな日こそ「気分転換だ!」と無理に友人と会ったり、流行のカフェに出かけたりしていた。だが、結果はいつも同じ。人との会話に気を使い、慣れない場所への移動で神経をすり減らし、帰宅した時には疲労困憊。結局、休むどころか、さらに疲労を蓄積させていたのだ。ベッドに横たわりながら、スマホを手にSNSを眺めては、キラキラした友人たちの投稿に「私だけがこんなに疲れているんだろうか」と、焦燥感と孤独感に苛まれていた。

「なぜ私だけがこんなに疲れているんだろう。このままじゃ、本当に壊れてしまうんじゃないか…」

そんなある日、ふと目にした記事に「何もしない日」という言葉があった。最初は「そんなことできるわけがない」と一笑に付した。休むことへの罪悪感、生産的でなければ価値がないという社会の常識、そして何より、自分自身が「何もしない」ことを許せない完璧主義が、私の心を縛り付けていたからだ。しかし、これまでの「気分転換」がことごとく失敗に終わっていた現実を前に、藁にもすがる思いで試してみることにした。

最初の「何もしない日」は、抵抗と罪悪感の連続だった。「こんなに時間があるのに、何もしていないなんて…」「怠けているだけじゃないか」と、心の声が私を責め立てる。だが、私はあえてその声に耳を傾けず、ただただ、提案された「何もしない過ごし方」を実践した。

まず、ひたすら寝る。目覚ましをセットせず、気の済むまで。夢と現実の境を漂うような、深く、質の高い睡眠。次に、好きな音楽を聴く。寝転がったまま目を閉じ、歌詞の意味も考えず、ただ音の波に身を委ねる。次に、寝転がってアンケートに回答する。思考力をあまり使わない受動的な活動は、わずかな報酬という「小さなご褒美」を与えてくれた。そして、食事はデリバリーを頼む。料理する気力すら不要。誰かが運んでくれる温かい食事は、それだけで心が満たされるようだった。

「こんなに何もしないでいいなんて…本当に私、生きてる?」

午後の光が部屋に差し込む頃には、不思議と体が軽くなっていることに気づいた。脳の奥にかかっていた重い霧が、すーっと晴れていくような感覚。罪悪感は薄れ、代わりに穏やかな安堵感がじんわりと心に広がっていった。まるで、電池切れ寸前のスマートフォンが充電器に繋がり、画面を消してじっと待つことで、みるみるうちにフル充電されていくような感覚だった。

この「何もしない」時間は、決して怠惰ではなかった。脳科学では、何もしない時に活性化する「デフォルト・モード・ネットワーク」が、創造性や問題解決能力を高めると言われている。まさに、私の脳と心は、この「何もしない日」に最高のメンテナンスを受けていたのだ。これは、未来の自分への、最高の投資だった。

翌朝、目覚めると、体が軽い。新しい一日への活力が、体の奥底から湧き上がってくるのを感じた。もう自分を追い詰めるのはやめよう。何もしない、という最高の贅沢を、これからは自分に許そう。あなたも、電池切れ寸前のスマホのように、自分をフル充電する体験をしてみませんか?