「今日も一日が終わる。何をしたわけでもないのに、なぜこんなに疲れているんだろう。」
専業主婦になって三年。夫は仕事、子供は幼稚園。日中は、広すぎる家で一人、時間だけが無限に流れていく。朝食の片付け、洗濯、掃除…それらを終えれば、もう午前中は終わり。午後は、テレビを見るか、SNSをスクロールするか、スーパーへ買い物に行くか。一見、自由で恵まれた生活。けれど、私の心はいつも、言葉にできない虚無感と焦燥感に苛まれていた。
「暇」は、贅沢な響きを持つ言葉だ。だが、私にとってそれは「苦痛」だった。社会から切り離されたような孤独感、自己成長が止まっている焦り。「このまま歳を取っていくのか」「私にはもう何の価値もないのだろうか」そんな心の声が、日に日に大きくなっていく。友人とのランチも、ママ友との会話も、一時しのぎに過ぎない。家に帰ればまた、あの無限に広がる空白の時間が待っている。
心の声:「この虚無感、どうすればいいんだろう。みんなは頑張ってるのに、私だけ、何もない…」
この苦痛から逃れたくて、色々なことを試した。
最初は「大人の塗り絵」だった。繊細な模様を色鉛筆で埋めていく作業は、確かに集中力を要し、一時的に時間を忘れさせた。しかし、一枚を完成させても、達成感はすぐに薄れた。「結局、私は何をしているんだろう?」そう思うと、色とりどりの絵が、かえって私の心の灰色を際立たせるように見えた。
心の声:「こんなことしてて、本当にいいのかな…?」
次に手を出したのは「アンケートモニター」。スマホで手軽に答えられるし、ポイントが貯まればちょっとしたお小遣いになる。けれど、数分で終わる簡単な作業を繰り返すうち、私は深い虚しさに襲われた。「これがお金になるって言っても、私の価値はこれだけ?誰かの意見の断片を細々と提供するだけ?」画面の向こうに広がる社会と、私がつながっている感覚は全くなかった。むしろ、自分がますます小さく、無力に感じられた。
心の声:「なぜ私だけが、こんなに満たされないんだろう…こんなはずじゃなかった。」
図書館で「乱読」した時期もあった。歴史小説、自己啓発本、子育てエッセイ…。たくさんの知識を頭に詰め込んだつもりだった。でも、結局は断片的な情報ばかりで、何も身についた実感がなかった。読んだそばから忘れていく。まるで、砂に水を撒くように、私の努力は形にならず消えていった。
心の声:「もうダメかもしれない…このままじゃ家族に申し訳ない。子供に誇れる母親でいたいのに、私、何にもできてない。」
そんな、出口の見えないトンネルの中にいたある日。ふと、スマホのニュース記事で「30代からの再スタート!未経験から資格取得でキャリアチェンジ」という見出しが目に留まった。最初は「私には無理」とすぐに画面を閉じた。しかし、その見出しが、なぜか心の奥底に引っかかり続けた。
「本当に、無理なのかな?」
その夜、夫が寝静まった後、私はこっそりパソコンを開き、いくつかの資格について調べてみた。漠然と「何かのスキルが欲しい」と思っていたけれど、具体的に何をすればいいのか分からなかった。でも、色々な情報に触れるうち、心の奥底で凍りついていた何かが、ゆっくりと溶け始めるのを感じた。
私は意を決して、以前から興味があった「Webライティング」の資格取得に挑戦することにした。まずは無料のオンライン講座を試聴し、次に初心者向けの通信講座に申し込んだ。
最初は慣れない専門用語や課題に戸惑い、何度も投げ出しそうになった。
心の声:「やっぱり私には無理だったんだ…」
けれど、小さな課題を一つクリアするたびに、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。それは、久しぶりに味わう「達成感」だった。
「もしかしたら、私にもできるのかもしれない。」
毎日、子供が幼稚園に行っている間、そして子供が寝た後、集中して学習に取り組んだ。夫は最初、私の急な変化に戸惑っていたようだが、私が目を輝かせながら学習する姿を見て、次第に応援してくれるようになった。
資格取得に向けた学習は、私にとって単なる勉強ではなかった。それは、閉ざされた部屋の窓を開け、新しい風を呼び込むような体験だった。知識が増えるだけでなく、毎日が充実し、自己肯定感が少しずつ育っていく。
そして、無事に資格を取得した時、私は深い安堵と、未来への確かな希望を感じた。小さな記事の依頼を受け、自分の書いた文章が世に出る喜びは、何物にも代えがたい。
今、私の「暇」は、新しいスキルを磨く時間、新しい知識を吸収する時間へと変わった。あの頃の虚無感はもうない。代わりに、社会とつながり、誰かの役に立っているという確かな実感がある。
専業主婦の「暇すぎる苦痛」。それは、一見ネガティブな感情に見えるかもしれない。けれど、私にとってそれは、人生の転機を告げる「空白」であり、新しい自分へと覚醒するための「助走期間」だったのだ。
